子どもというエネルギーの塊 [感銘した文章]
北海道新聞[生活面]に肩の力が抜けた文章を見つけた
つい、先日、5歳くらいの男の子と、なんと、テレパシーで会話をした。
近所のスーパーマーケットでのことだ。
「どうして、ひとの言うことがきけないの!走り回ったらダメだって。あしたから、お留守番だからね!」
坊やの傍らで母親らしき人が、野菜を布袋に詰めながら、野菜を布袋に詰めながら、矢継ぎ早に彼をしかっている。
怒られているやんちゃ君と目が合った。「おおー、よしよし」。もちろん、声には出さない。その瞬間、坊やはニッコリ笑い、私が使ったカゴを片付けてくれた。
「ありがとう。うれしいなぁ」。今度は母親の耳に、しっかり届くように大きな声で言った。
「優しいお子さんですね。カゴを片付けれくれたんですよ」
「そうですか?わんぱくで手を焼いています」。30代とおぼしき女性は、ほおをほんのり桜色に染めた。
思い出すなぁ。30年近くも前、幼い息子に、ほおずりをしながら謝った日もあった。「さっき、あんなに怒ってごめんね」って。
子育て時代に、日曜日はない。子どもというエネルギーの塊は、加減を知らずに体当たりをしてくる。それを受けとめるだけの力が底をつくときだってある。
細身のママさんに思わず声をかけた。
「大丈夫ですよ。もう少しで、ちゃんと聞き分けてくれるようになりますよ」
母子の後ろ姿に若い日の自分が重なった。
=室蘭市)石橋 尚美(54歳・主婦)さんの投稿記事より=
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